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みんなで学びあう多文化コミュニティをつくりたい! 

 私は1991年(当時6歳)に中国から母と共に栃木県に移り住みました。父はその3年前に来日し、アルバイトをしながら大学に通っていました。来日当初はお金がなく、月の生活費は2~3万円でした。母は昼夜工場でアルバイトに明け暮れ、父も昼は建設現場で働いていました。廃屋の社宅の管理人室を借り、家具や自転車等は粗大ゴミ置き場などから拾って修理して使いました。

 親の帰宅は遅く、いつも1人で夕食を食べて日本語を暗唱していました。夜の家の暗闇が不気味で怖かったのを覚えています。中学2年の時、父がリストラに遭い、家も立ち退きになりました。絶望が一家を包み、口論が絶えませんでした。結果的に、父の働き先は見つかりましたが、私の将来を案じ、そして差別されないために、家族で帰化をしました。

 来日当初の私は、貧しさや軽蔑を受けて劣等感や疎外感を持っていました。また、それを取り戻すために自分を大きくみせたり、高望みをしました。しかしそれとは裏腹に、何をやっても続かない、結果が出ない時期がありました。自分の運命を前向きに受け入れることができず、自分のやることに自信が持てなかったり満足できなかったからです。前向きになれない、つらい、どうしても1人では頑張れないときもありました。

 これらの経験から、同じ境遇をもつ若者たちに、2点伝えたいことがあります。

 まずは、「自分に自信が持てるように努力する」こと。このような時は、小さい努力を積み重ねて達成感を得ることが大事です。そして、すぐに結果を求めずに5年でも10年でもやり続けることです。1世は土を耕し、2世は種をまき、3世で花を咲かす。時にはそれくらいの時間軸での準備と覚悟が必要です。

 次に、「応援してくれる仲間を作る」こと。対等に付き合い温かく応援してくれる先輩や友人を見つけましょう。悩んだ時やつらい時に力になってくれるはずです。そして、失敗の原因は自分に求め、他人から謙虚になんでも学ぶことも大切です。

昨今、外国にルーツを持つ子どもや若者への支援が少しずつ広がり、嬉しくそして羨ましく思っています。一方で、まだまだチャレンジできることはあります。

 例えば、多文化コミュニティづくり。多文化共生という言葉すらなかった90年代の日本社会で私の世代が経験したことや学んだこと、日本や海外で働く中で見つけた自分らしい働き方や生き方を共有し学びあう場をつくることで、新しい価値を社会に提案することができるのではないかと思います。

 これを実現するのは決して容易ではありませんが、応援してくれる仲間を見つけながら、努力をしたいと思います。



景山 宙

中国で生まれ6歳に来日し栃木県で育つ。東京工業大学大学院卒。NPO法人glolab副代表理事。英国に駐在し企業買収後の統合プロジェクトに従事。